【槇原敬之】略歴と覚せい剤の使用歴・逮捕の経緯・謝罪コメントまとめ

槇原敬之さんの略歴と覚せい剤使用の歴史をまとめました。

槇原敬之とは?

日本のシンガーソングライター。数々のアーティストに楽曲を提供する一方、自らも国民的な名曲「もう恋なんてしない」や「どんなときも。」等を複数リリースしている。

略歴

1985年(デビュー前)
高校在学中の16歳の時、坂本龍一が当時担当していたNHK-FM放送の番組『サウンドストリート』のデモテープコーナーに楽曲を送り、楽曲を聴いた坂本から「良いバランスで仕上がっている。言う事なし」と絶賛を得て、番組では異例のフルコーラスが放送されている。

1990年10月25日
NG」で歌手デビュー。

1991年06月10日(22歳)
どんなときも」が大ヒット。紅白歌合戦初出場。

1994年11月25日
喉にポリープが発覚し入院。

1999年8月26日
覚醒剤所持が発覚し、覚せい剤取締法違反(所持)現行犯で逮捕された。

2000年
以前所属していたワーナーミュージック・ジャパンに復帰移籍し、10thアルバム『太陽』で活動を再開。

2003年
SMAPに提供した「世界に一つだけの花」が売上200万枚以上を記録。その後も売れ続け、2016年のSMAP解散に伴い300万枚を突破した。

2020年2月13日
覚せい剤取締法違反容疑で逮捕。

覚せい剤の使用歴・詳細

1回目(1999年8月26日)

覚醒剤を所持しているとの情報を得て内偵中だった警視庁本富士警察署の捜索を受けた際、自宅から覚せい剤が発見され、覚せい剤取締法違反(所持)現行犯で10年来の友人の奥村秀一と共に逮捕された。

逮捕後に本人は「多くの方達に取り返しのつかないご迷惑をかけてしまい、お詫びする気持ちをどう表現して良いかわかりません。潔く罪を認め、いかなる処分も受けなければならないと思っております」と謝罪している。

逮捕後、CDが発売元のレコード会社によって店頭から回収される動きが始まり、このときファンが買いに走ったため、過去作品の売上が伸びるという現象が発生した。

12月8日に「懲役1年6月、執行猶予3年」の有罪判決を受けた。

保釈日に本人は「寛大な判決が下りました今も、法を犯すことの重大さを痛感いたしております。今後は、絶対にこの様な事を起こさないことを、堅くお約束いたします」とコメントしている。

2回目(2020年2月13日)

2018年4月(2年前)に、友人で所属事務所の元代表が逮捕された際、槇原容疑者との同居先の部屋からも、覚せい剤と危険ドラッグを押収していた。

警視庁はおよそ2年間の調査で、押収した覚せい剤と危険ドラッグが槇原容疑者の物であるという事を特定し逮捕に至った。

この経緯から、今回の逮捕は1回目とは異なり、現行犯逮捕ではない事になる。

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